た
他者がいなければ考えられなかったけれど、ようやっと一人で対処できるようになった気がする
自分がなにをやりたいのかがまるでわからないから、とりあえず思うように動いてみる
ふたつあって、どっちを無くした方が自分はぽっかりとした気分になるか
自分が幸せなように動いていいのか
本当に幸せなのか
考えて行動にうつしても、幸せになれないことが多くて、なぜかというと、ああこれだと後悔するんだろうなってどこかで思いつつ、それよりも幸せがまさるから
振り返ったとき、やっぱりねとなる
当たり前だ
で他で幸せと寂しさを埋めて、眠る
目を開くと朝になってる
望んではいないけど皆が幸せなことで
違う、こんなことじゃない
今朝思いついた。久しぶりに腕を切ってみようかな。気分が悪いわけじゃなかった。不幸せなわけでもなかった。つらくもなかった。生きてたくはないけど、それは過ごしてて毎日思うことだし、そんなに特筆するような、わざわざとりあげるようなことでもない。
とにかく、「あ、腕切ってみるか」となって、引き出しを開けて、カッターをとった。
ふーん。だった。まるで痛くないのに、血が腕をつたって流れて、おかしいな意味わかんないな。こんなもんか。なるほどなあ。そういえば中学の頃は痛いのに無理して手首ギリギリから腕まで傷でうめつくしてたなあ。今となっては傷もうっすくなって、眺めないとわからない程度だけど。ふーん。腕か。腕は切りやすそうだな。と、腕をきった。肘まで。肩あたりから肘までの三分の一を傷で埋めて、肘から手首をそこそこの傷で埋めて、血を拭って思ったのは、はあしばらく暑いんだけどなー。だった。前の自分ではあまり考えられなかった。長袖を着るのは当たり前だったし、夏場は暑いからって見えないところを切ってたから。
わたしは聴覚障害なの?
発達障害なのはわかる。自閉症ではないだろう。なにをもってして自閉症というのかわからないし、揺れてると落ち着くけど。心は閉ざすけれど。
わたしは久しぶりに現実を目の当たりにして怖かった。聴覚障害と発達障害と自閉症(あと鬱病)。そんな自分を忘れていた。自分は健康だと思っていた。中高大の思い出を、味わった重苦を思い出した。音と、他人の存在感と、ひとの目と、すべての恐ろしさ。死んでもいいと思った。
また、信じようとしていた人間から裏切られた。
無意識を言い訳に使うことはできる。
しかし前者ふたつは切ったことの理由にはならない。三割がたはそうかもしれない。でも残りはわたしの抵抗と、意志のためにやったのだという意識がある。
わたしは今まで一瞬でも幸せな気持ちになった。生きていたくない。少しでも幸せになれたのだから、もう死んでもいいだろう。