わたしが人生で一番大きな失恋を経験した時、「これを一生背負っていくのだ」と思っていた。しかし、改めて思い出してみると、普段呼んでいた名前以外ーーー苗字を忘れてさえいた。畢竟そこまでだったと、自身が受け入れられたということだ。時間は薬だということを身をもって痛感している。なにが言いたいかと言うとーー今までとはまるきり異なることかもしれないがーー望んで会ったということ、幸せだったという事実さえあれば、「会えてよかった」と思えるということである。幸せが不幸せよりも傾くならばの話ではあるが…。

 

とどのつまり、わたしがこの先誰に会おうと、会えてよかったと五年後、十年後に思えるかどうかは、いまのわたしにはわからない

振り返った際に、多大なる後悔、また諦念はあれど、幸せだったというまっさらな記憶があれば、「会えてよかった」ということに繋がるのではないかと思う。