読まれれば救われる

 

眠っている母親の顔の寸分先までに包丁を向けたことがある

小学校低学年だったか

西日がさすリビングでのことだった

今はもう水色に塗られたあの建物はわたしの家であった

殴られ蹴られ、次やったら殺すなどと言われ、わたしは周りにストレスを向けるしかなかった

母の言うことは絶対であった

わたしにはそのつもりがなくても母が怒れば罪に問われた

抵抗しても押さえられ、文字通りされるがままで、恐怖のあまり失禁したことは数えきれないほどある

服を剥かれたこともあった。わたしのお金で買ったものよと言われ、脱げと言われつづけわたしはおののきその通りにした。彼女は普段3階に居た。わたしは下着姿だったので、外へ出ることもできず4階の寝室へ逃げて、ベッドで丸くなっていた。ずいぶんたったような気もするが、扉があいて母が出てきた。真顔でもう降りてきなさいとあいつは言った。

よくある御涙頂戴のガン患者を主人公にしたドラマで見る、髪をとかした際にごっそり髪がブラシについているといったことも何度かあった。あのばけものが髪を掴んで引っ張り回すからである。小学生四年の頃までは無理矢理パーマをかけさせられていたので、櫛が通らないわね程度に終わらせることができたが、やつらがパーマ付きの人形に飽きたらお察しである。

あのまま思うままに刺せばよかったか?と十一歳にして二人もの男子を手にかけたメアリー・ベルなる少女の存在を知って思ったが、彼女は二十そこらまで壁の中だったらしい。今見渡せばあるものと、重い十字架を背負って見知らぬ人間にもなじられながら生きるというものではーーわからぬ。母が憎い。汚い子宮でわたしを豚のように育て下の口からひりだしわたしに生きることを強いたあの人間が。

小さい頃は一日に一度は死ねと思ったが、それでも三日に一度は生きていてくれてよかったとおもったものである。

 

同じ建物だったので父の仕事場まで逃げたことがある。父のデスクの下はセーフゾーンだった。社員と同じ部屋だから、ここまでこないだろうと思ったが、やつは来た。来たのがわかったのでわたしはデスクの下の背に限界まで体を寄せた。手を使って引っ張り出すかと思いきや、脚で思い切り蹴ってきた。何度蹴られたかわからないが、やつが満足するまで蹴ったように思う。泣きじゃくるわたしをついに引っ張り出し、自宅である上の階へ引きずられた。もう二度と○○をしない。時間。日付。名前。この誓約書を何度も書かされた。ずっと持っておくからねとやつはいった。書くとやつは満足した。わたしは威圧感や痛みなどで頭が真っ白で、なにを誓わされたのかてんでわからなかった。

それはさすがに黙殺をつづけていた父の目に留まったらしい。

ずっと日記をつけろと言われた。裁判になった時に使える。といって目の前で直近のことをわたしに書かせた。わたしは暴力に対してそこまでなにか思うことはなく、どこかからっぽであった。(それでも母はわたしを愛してると健気に思っていたかもしれないし、そもそもそれすら考えなかったのかもしれない。ついでに言うとババア死ね、呪ってやると呪文のようにぶつぶつ心中でも言いつづけていたことが長いことあったがいつからそう思い出したのかわからない。)そんななのでわたしは日記をつけることはそれ以来一度もなかった。また殴られた。また蹴られた。といった風であった。でも、どんなにわたしが痛がっても病院に連れて行かれることはなかった。