十六の時に太宰治の女生徒を大切そうに持ち歩いている友人が居た

受験勉強もあり、先生がわたしに教えてくれたこともあり、太宰治がどのような人生を送ったのか、どのような文章を書いていたのか、わたしは知っていた

知ってなお「とんだつまらない人間だ」などといって、図書室へ足を運びながらも、本を手にするのは、今思うとーー気が引けたのだ

しかしあの時のわたしにとってそれは逃げる口実ではなかった

 

先日、友人との酒の席で相談をされた話は、ここに記したのだったか。

夏に控えるスピーチのテーマを決めあぐねているなどと彼女は言って、わたしはわたしなりに。あくまでもわたしなりに!時間をかけて相談に乗った。なのに、彼女はわたしに「それ、同じことを教授も言ってた」と言った。

その後彼女は「そのときも感動して泣いたんだけど、今また感動しちゃって」と言って泣き始めたのだが…いや、この一文はわたしのわたしへの慰めでしかない。

 

わたしは平凡であった。必ずフレームに沿ったものしか浮かばなかった。

高校の時、同じクラスに頭の切れる人間が二人居て、片方は発想に富み、もう片方は計算高かった。わたしは彼女らに畏敬の念を抱いていた。彼女らの存在はわたしの存在を普通たらしめていた。

平凡であったと表記するのは、現在は違うと信じたいからだ。

 

しかしわたしよ、見てみろ、わたしのような人間は多い。

太宰治のエッセイを読んだ。

友人に「太宰治にきみは似ている。第二の太宰治だ」と酔った勢いではやしたてられたこともあり、興味本位であった。

わたしの思想を彼はそこで代弁するかのように綴っていた。

 

そうか。わたしの思想はもう使い古された、先人によって世に浸透されたものか。

ではもの書きをする意味がない。

わたしは誰かの写しになりたい訳ではない。

現在を生きる多くの者と、先人の残した記録の波に埋もれたいわけでは断じてない。

わたしは唯一無二の、確固たる人間で在りたい。

誰も率いなくてもよい。名だたる偉人になりたい訳ではない。

似ているなどという言葉は侮辱である。