生きることは罪を遺すことである

よって真の復讐をするのなら長生きをさせるのが一番である

人間が作った人間の…というよりも、神が創ったとしたほうが諦めがつく

全て自分の遺した過ちは神によって采配されていたものだと

ごみだめのような世界で、メディアと塵で出来たような人間に満ちている環境で、自我を持った人間が生きるのは等しく難しい

世界は神が創るが、どう見るかはわたしである

 

 

以前は、虐げられたり、他人というよりも、他人の形をした自分で自身の首を絞めていて、なによりも型にはまった常識がわたしの芯に埋まっていて、死にたいだの消えたいだの考えていたが

近頃はわたしと同じような人間も居ると、生きていて楽しいと空を仰いで言うような人間に出会えたので、生きていても良いかと考えていた

しかし今日過ごしていて、無理に生きることはないのかもしれないと思ってしまった

 

 

三日後に死ぬかもしれない

もしくは五秒後に死ぬかもしれないと思って過ごしていた

十四の頃、わたしは二十には死にたいと思っていて

十六には二十三が人間として輝いているように見えるからといいそこまで生きて、見目が美しい盛りに死にたいと思っていた

しかしもう二十の壁を越えてしまった

カウンセラーも同じことを考えていたそうで、死にたいと思いつつ三十を越えたそうだ

だからか、彼女はわたしに未来設計をやたら勧めてくる。人間くさすぎるとは思うが、わたしは望んでいない。

しかし生きてみても、意外と事故なりなんなりで死ねない

もう階段を降りていて、ふいに踏み外して、壁なり床なりに身体なり頭なりぶつけてくれとは思うのだが、そうもいかないようで、夜の街を歩いていて、ナイフをちらつかせた変態に刺されることにも出くわせないし、つい居酒屋でガス漏れを従業員が見落としていて、なにかの拍子で爆発しちまったみたいなことも意外とない

だが努力して死ぬのはなかなか難しい

ということは暫くどうせ生きているし、どうにかして過ごさなければならない

(このあたりからは過ごすことの延長線上と、真後ろに生きるということがくっついているということを前提で話している)

どうせなら好きなことをして過ごしたい

好きなことなんてのは考えた結果、考えることで、また、時たま友人と酒を酌み交わして、気が向いたら勉強をし、本を読む、簡潔に言うと、今の生活だった

しかし生きたときに振り向いてガッツポーズをするための未来設計とはそういうことではないだろう

なにかしらを成し遂げなければならない

 

昨日の彼女も世の中はごみだとか激しいことを酒に呑まれて言っていたが、わたしは生きづらさを感じつつ生きている人間としか出会ったことがない

あるとしても、なにも考えずに生きる馬鹿くらいで、そんなのは世に溢れているので、ここでいう出会いには含まない

 

どこかの大学の哲学科は自殺者が多いときく

生きてる意味やら、他者とは、自己とはなんぞやとか馬鹿馬鹿しいことを考えているならまだしも

あっちの大学よりもこっちの方がわたしの肌に合うのかもしれない