ではもうよいと諦めることは容易い

勇気がいるからとできなかったことが今目の前で行われようとしていて、なぜ行われようとしているかというとわたしが少しでも踏み出したからである

行動主はわたしであるということは、簡単であるがゆえに見えづらく、だからかわたしには何がしかの達成感というものはあまり感じたことがない

 

誰かに助けてほしいのは、わたしがわたしを持て余してるからな気がする

わたしがわたしを理解できない、もうわたしを理解することをわたしが諦めている

ならば他の人から見たわたしでもう良い わたしを形づけるものはそれで良い、だが、任せるに値するような、委ねてもいいかと思えるような人間がいない

わたしが何を思っているのか わたしとはなんなのか どれがわたしなのか

ではわたしが見つけなければならないのか?

 

出会う人出会う人、だいたいに美人だと言われて、わたしの美醜の基準を疑い始めている

世界中の人の思う美人と、わたしの思う美人との相違の狭間の点を、わたしがもしそれの存在を知らずにここまで生きているのだとしたら?

わたしは全てを疑い続けなければならない