自分の散文を見て思ったけれども、やっぱり小説家なんて向いてない。別に目指そうとしてるわけじゃない、し、それを意識して書いたわけでもない。母が言った。繊細な心を持っているんだし、外に出かけるのが苦手なら小説家になればいい。とかなんとか言って、外科医と獣医と、服屋と、散々ころころ変わってわたしに押し付けられていた"やらせたい職業"とかいうのが、次は小説家だっただけだ。しかも今回はなんだか長い。去年の冬だか今年の春だかに言われたのが、昨日も言われた。

 どうにかならないものか。

 

 

 家に引きこもっているからといって、気鬱になる訳じゃないと思い聞かせながら話をする。だからといって育つ訳でもない。放っておいたままで夢が叶うわけでもない。私は夏から始めた演技研究所に行く曜日さえここ最近は忘れ始めて、ただ寝食を繰り返しては合間合間に小説を読んだり音楽を聴いて天井を見てたり、そういう毎日を繰り返している。何も考えてない訳ではない。言い訳だと思うけど。

 

 人の役に立ちたいなんて言って、本当はただ舞台に立って人々に見上げられたいだけだった。好きな歌を歌って、多くの人に褒められればいい。写真なんて撮って、CDのジャケットなんかに使われて、本名で活動なんかしちゃって、存在が認められればいい。そんなにうまくはいかなかった。言い訳ならたんまりある。でも結局は自分の努力不足なんだと思う。日に日に長くなっているような気さえするこの舌がうまく動かないだとか、他人が怖いとか、本当はたぶんたいしたことない、おおきな目標なんだって自分でわかってて覚悟した上でやるなら。でも学費三十万。なんだ、三十万か。辞めてもまあ、そんなに痛手ではないな。と思ってしまったのが終わりだった。研究所から自宅へ帰る道すがら、必ずどこかへ行っては自分へのごほうびなんて言っていた。なにか足りないものを補うような、欠けてしまった心を修復するような、そんなかんじで、あの頃もそんな自覚はあった。夜遅くに自宅へ帰って、目標が出来て嬉しそうな父と、演技研究所なんて向いてなさそうなところに通って、なんて複雑な顔をしている母に挨拶をして、自室に戻ったときだった。腕の切り傷を隠すための長袖の適当な---適当な部屋着のようなくたびれた、毛玉さえある白いシャツ---なぜ息詰まったかというと、わたしは出かけるときは常に美しい服装ではないと気が済まなかったのに、研究所では…と、たった今気づいたからだ---を着て、夏には似つかわしくない長い長いスカートを履いて---長袖に合わせてわざわざ汗かいてまで着ていたものだ---短い靴下を履いたまま、いつものように、定位置に研究所で使うものをいれた紙袋を置いた時、たしかに大きなため息をつきたい気分であった、し、つけばいいものを、そんな気分だったものを、眉ひとつ変えないまま、いつも通り研究所用の服を洗うために取り出した。同じく長袖の服、アンバランスな短パン、もう見慣れたダンスシューズ。服は洗濯籠にいれた。ダンスシューズはいつものようにいれっぱなしにした。それから服を脱いで、化粧を落として、身体を洗って、家族と食事をした。演技のほうはどうだとお父さんは少し高い声色で話した。母さんはそれを見ていた。母は学んでいる内容よりも、わたしの人間関係のほうが気になる様子だった。ずっとそうだった。友達はできたかとか、男女比はどうだとか、そんなことをきいた。わたしは聞かれたことに答えて、きっと両親も鼻が高いだろうと、そのときばかりは嬉しかった。きっと有名になると思った。しかし、転機はすぐに訪れた。研究所があるのに身体が動かないのだ。発声練習もしようとした。プリントを開いて、それでとまってしまった。なにが原因だのと考えている余裕はなかった。赤いダンスシューズと、適当な長袖の服を詰めて、研究所の前日には、きっとわたしはそれでも行けると思った。結果は虚しかった。

 

 それから、わたしのネオニート生活が始まった。もうどうでもいい。折角声をかけてくれたバンドのメンバーも、解散の危機を迎えていた。まあそれでいい、そんなもんか、と思った。事実と未来は必ずわたしの考えている斜め上をいく。から、わたしも予防線を張る。シミュレーションさえしておけば、こわいことなんかない。でも研究所は行っていないし、バンドも解散しようとしていた。わたしの予想なんてたいしたことなかった。またひとつ池袋と新宿と、浅草に行きたくない理由が増えた。母は行かなくなったことに疑問は抱いていなかったようだ。だってあなた、人と関わることが向いてないのよ、いっぱいひとがいる前で、あなたが立ち振る舞わなくちゃいけないのよ。あなたには無茶だったって思ってたわ。よく覚えていないけれど、いわれたのはそんなところだった。反して父は行かなくなってからあまり演技について話さなくなった。けれども、うちのバンドのボーカルをやらないか、ドラマのエキストラとか、CMにでてみないか、なんて気を遣ってくれた。ろくでもない日常に戻ったのである。

 

 ここ最近は引きこもりすぎたせいか、洗濯さえしなくなったせいか、枝豆を茹でることくらいしか食事をつくらなくなったせいか、どのせいかわからないけれども、よく過去を思い出すようになった。夏には色々なことがあった。一年前の夏もあった。そんな風じゃない。突然やってくる。例えば、本を読んでいるとき。脳裏によぎるとはこのことかとあらんばかりに、さっと現れては消えていく。いや、こびりついて残っていく。それともわたしが引き止めているのかもしれない。楽しかった夏の、あの日の思い出、夜遅くに外でビールを飲んで、隣にはあの人がいて、もう隣にはあの人がいて、向かいには、なんて鮮やかな記憶を撫でるように思い出しては、あの頃はよかったなんて思うのだ。ひどいときはLINEだのなんだのと開いて、あの人とは関係を切りたいだの思ったり、なかったことにしたいななんて思ったりする。結局過去だからな、って諦めたりとか、あの頃はよく外出したものだ、えらく社交的で、偉かった、って今の自分と比べて、今のが貧相だななんて自嘲とか、そういうことをして元に戻る、本をまた読み始める、飲みきった水のはいっていたグラスを音を立てて机に置いて他の何かをする、なんて区切りはつけられる。でもそこには必ず今のわたしがいた。なにをするでもない、働くわけでもない、人と会うでもない、人と話すでもない、むしろそういうことを全て捨て去って、やらなければならないこと---家族団欒を守ったり、朝昼に食事をとったり、お風呂にはいったり---だけをしているような、たまに唯一ずっとそばにいる人間と話をしようとか、会ってみようとか、するばかりだった。そういえばこの間友人ともいえない友人と電話をして、それは勿論わたしがギリギリなところまできていて、そのひとに相談すれば良いアドバイスだの諫言だのくれるだろうと踏んで、なによりも自分のためにしたことだが、なんだか言ってはいけなかったことを言ってしまった。これは最初に話さなければわからないだろうから話しておくけれども、わたしは友達が少ない。友達なんて呼べる人はいないんじゃないなと思える。あれこれどうのと自分の好きなように振る舞って、たまにそれはないんじゃないの?なんて批判したり、要するに、気のおけない仲の人間が、たぶん、いま考えたけれども、ひとりもいない。なぜかって、自分が他人との距離を置きすぎて、気をつかうことが板についているからだ。壁を作るのにも慣れている。自分のことは出さない。コミュニケーションにおいて、大事なのは相手を傷つけないことと、自分が嫌われないように振る舞うことだ。というような感じでいたら、友達がいなくなっていた。信頼は薄氷のようなもので、簡単になくなる。わたしは氷山くらい信頼できなければ友達とは言えないだろうと思っている。知り合いは多い。本当に多い。反して友達はいないのだ。だからこそ、電話していた彼女にも言った。相談しているのはわたしで、相談事が終わったから切ろうと思ってタイミングを見計らっていたら---じゃあ、すっきりしたから切るね、ありがとう、なんて流石に言えないから、なんて言おうか決めあぐねていた---向こうから世間話を持ちかけられた。これはたまらん。辛抱たまらん。すごく長くなりそうだ。そんなつもりはなかった。わざわざ会っているならまだしも、通話越しに、睡眠時間と大切な夜の時間を削って、別に自分の近況なんて話したくないし、悪いんだけれども、相手の方にも興味がなかった。だから、近況の話を続けようとする彼女に「ごめん、友達ともなんともいえない関係のわたしが聞くのもあれだし」なんてこう、話を包丁で切るみたいな真似をしてしまった。彼女は「そう?わたしは友達だと思っているけどね」なんて言った。よく言われる。言われるたびに、この人を傷つけてしまったと思う。それなりの罪悪感と、やってしまった感。それからわたしは、彼女に話を合わせて話を聞いたし、わたしも話をした。途切れるまでとはいかなかった。他人と話すのは疲れるものである。途中で適当に言い訳をして切った。駄目な人間だ。だから友達ができない。

 彼女はよく出かける人間だった。よく他人と遊ぶ人間だった。他人といると楽らしい。わたしはそんな期間もう終わった。夏に。だから、わたしはひとりでいるほうが精神的に楽だと言った。あのときはそう思っていた。嘘だった。ひとといると心が動く。そうすると、生きているのだと思える。

 

 書き続けていたら目が疲れてきた。扉の枠が二重に見える。食事が終わって、片付けもしないままこっちで話をしてしまった。とりあえず片付けをして、また気が向いたら顔を出すことにする。